ネガティブ思考を禁止しないポジティブ思考
春ですね。寒かったり暖かかったりと寒暖差が激しい時期ですが、だんだんと暖かい日が増えてきてなんだか嬉しい気持ちです。
さて、タイトルについてですが「ネガティブ思考を禁止しないポジティブ思考」というテーマで今日は書いていきたいと思います。
一見矛盾してますが、最後まで見ていただけると嬉しいです。
これは、私が以前からしている思考法なんですが、ネガティブな考えや気持ちが浮かんだ時に「こんなこと考えちゃダメ!」てせずに、一旦受け入れてしまうんです。一息ついてそれから、そのネガティブ思考について改めて考えて見てほしいんですね。
例えば「私って酷い人間だ…」と思ったとしましょう。
そしたら、
- なぜそう思うのか
- 本当にそれがあなたの本質なのか
- 「いや、そんなことない!」
と言うふうに考えてみてください。
難しいでしょうか。最初は難しいと思います。
ではもっと手順を簡単にしましょう。
ネガティブ思考になった時はすかさず「いやいや、そんなことない」て思ってみてください。
人間って不思議なもので、思った事に対して正当化しようとする意識が働くんです。
「そんなことない」と思ってると、ネガティブ思考に対する否定の理由が自然と浮かんできます。
「私って酷い人間だ…」→「いやいや、そんなことない」→「だって、この前電車で席を譲ったじゃない」みたいに。
あくまでこれは一例ですが、皆さんにも絶対あると思うんです、ネガティブを否定するポジティブな事が。
ネガティブに思うこと自体は禁止しなくても良いんです。それは自然な感情ですから。
大事なのはそこからどう動くかです。
ネガティブ思考からそのままドツボにハマるのと「いやいや、そんなことない」と思ってポジティブな思考に立て直す努力をするのと、どっちがいいと思いますか?
私は、後者の方が良いなと思います。
人間って禁止が苦手なんです。
見ちゃダメって言われると余計見たくなりません?そういうことです。
だから、最初に浮かんだネガティブ思考はあえて否定せずに受け入れて、
その上で
「果たしてそれは本当に事実なのか?」
「事実だったとして、それだけが私の全てなのか?」
というふうに考えて欲しいのです。
大事なのは、ネガティブ思考に飲まれない事です。ネガティブ思考を止める為にも、一旦立ち止って「いやいや、そんなことない」と自分に言い聞かせてみてください。繰り返し、繰り返し。
この思考法は一日では身につかないと思います。
ずっと続けていくうちに、ネガティブ思考に陥った時に冷静な自分が「いやいや、そんなことない」と勝手に言ってくれるようになります。
ぜひ試して見てください。
ありがとうございました、またお会いしましょう。
プチ贅沢のススメ
あなたは贅沢してますか?
いえ、贅沢と言ってもそんな高級なディナーとかホテルのビュッフェの話じゃないんです。
私が今日お話しする贅沢とは、言ってしまえば「プチ贅沢」とかそんな感じ。
今日私は、仕事の帰りにプチ贅沢をしてきました。まあ、Tully'sでお昼を食べただけなのですが。
その帰りにふと、こんなことを思いました。
「自分を大事にするっていいな。」と。
今日Tully'sでお昼を食べたことは特に深い意味はなかったのですが、結果としてそういう気持ちになったということは、私にとってはご褒美、プチ贅沢になっていたんだな
と。
確かに思えば、外食は久しぶりでした。最近は金欠で中々外食に行ってなかったので。
本題に戻りますが、あなたは最近贅沢などしていますでしょうか?
できていないという方も結構いらっしゃるのではないかと思います。こんなご時世ですしね。
でも、こういう時こそ「プチ贅沢」をするべきなのかなと思ったりもするのです。
外食じゃなくても、スーパーでちょっといいお肉を買って焼いてみたり、いつもより高いパックを買ってつけてみたり。なんでもいいのです。
重要なのは「自分を大事にすること」。
実はみんな自分を大事にすることっておざなりにしてる気がします。でもそれって寂しいことだと思いませんか?
結局自分が一番自分のことをよくわかっているんです。いつ元気で、いつ休むべきで、いつご褒美が欲しいのか。
もっと自分を大事にすることを意識出来たら、もう少し楽に生きられるんじゃないかなと私は思います。
とは言っても「ほしいときにご褒美をあげていたら自分はご褒美だらけになってしまう」という方もいるのではないでしょうか?
考え方を変えてみて欲しいんです。むしろ「それだけご褒美が必要なくらい自分は頑張っている」んだと。
どうでしょうか?
確かに、家計を圧迫するくらいご褒美を買ったりしていては考え物かもしれませんが、そうじゃなければ私は毎日でもご褒美、プチ贅沢があってもいいと思います。その時は、感謝を忘れないようにしたいですね。
つまり、もっとみんな意識して贅沢をしたらいいんじゃないかなと思うのです。
ちょっと良いお肉、いつもより良いシートパック…、お金をかけなくても、1日中寝るとか、自分にとって贅沢なことってたくさんあると思います。
金銭的に贅沢なこと、例えば高級なレストランに行くとか、そんなんじゃなくていいんです。
それに「プチ贅沢」ならしてもいいかなって気になりませんか?
時間がなくても是非、プチ贅沢してみてください。
では、またお会いしましょう。
桜が咲くと気持ちも咲く
あなたは春が好きですか?
私は好きです。
花粉症がある人は嫌いかもしれないですね。
実は私も花粉で肌が荒れちゃう人なんですが、やっぱり春特有の日差しや空気が嫌いになれません。
春はどうしても窓を開けたくて、窓を開けっぱなしにしてたら肌が大変なことになりました…。まあでも閉めてても肌は多分荒れるので、気分の良さの方を優先します。
仕事先までの道中はあまり余裕がなかったので、帰りに桜の写真を撮りました。
あいにくの曇りでしたが、曇りの中の桜も、桜の華やかさが曇りを吹き飛ばすようで悪くないと思います。
季節ごとに咲く花はその季節を感じられてとても良いですよね。
その中でも桜は誰の心にも根付いた花なんじゃないかなと思います。
私は、桜が咲くと気分が上がります。具体的な理由はないです。ただ、春の空気と相まってあの薄紅色の花を見ると、頑張ろうという気にさせてくれるのです。
それは桜の生態が関係しているのでしょうか。そんな気もしたりします。
桜は季節ごとに様子が変わる木ですが、長い冬を耐えて耐えて、春の暖かさを感じると一気に花を咲かせます。
そんな姿を見ていると、私も忍耐して、いつか小さくてもいいから綺麗に咲きたいと思わせてくれるのです。
あなたもきっと大変な毎日を過ごしていることだと思います。
その日々を耐え忍んだ先に、綺麗に咲き誇れる日が来ると思えば、大変な今も少し悪くないような気がしませんか?
心の余裕のバロメーターを持っているといい話
最近、手帳を開かなくなりました。
そのきっかけとしては、ずっとお休みしていた仕事をまた始めたからだと思います。
どうやら私の心の余裕のバロメーターは「手帳」なようで、心に余裕がある時は手帳を沢山開いて色んなことを書き込みます。
今日や明日のTodo、仕事の予定、次の月の出費…、その時の目標、やりたい事、欲しいもの。とにかく沢山。色々な事を書きます。
ですが、余裕がなくなってくると、それもしなくなるのです。
それってきっと今を生きるので精一杯になるからなのかなって。
今を生きて、休んで、また生きて。
この繰り返しで精一杯になるから、手帳に書くことを考える余裕もなくなる。だから手帳を開かなくなる。
あなたには私にとっての手帳のような存在はありますでしょうか?
恐らく、多くは趣味がそれに当たるのではないでしょうか。(私の手帳も趣味なので)
私には趣味がいくつかありますが、やっぱり趣味って余裕が無い時は楽しめないものなのかなと思います。
「最近あれ出来てないなあ」とか思ったら、心の余裕がなくなってるのかもしれないと考えると、休むタイミングも掴みやすくなるものじゃないでしょうか。
心に余裕がないと、上手くいくはずのことも行き詰まってしまいます。
ぜひ、あなたも心の余裕のバロメーターを探してみてください。
ではまたお会いしましょう。
何でもないけど幸せなこと
幸せというのは何でしょうか?
お金持ちになること?結婚すること?
きっとそれらも幸せかもしれません。
しかし私はお金持ちでもなければ、結婚してもいません。でも幸せです。
不幸だとか、つらいとか思うことがないわけではありませんが、おおむね幸せです。
私は人より少し感受性が豊かなようです。これが、私を幸せにしている一番の要因ではないかと思います。
苦労していることもありますが、恩恵もあります。
例えば、些細な変化や出来事に気づきやすくてすぐ感動します。
今日は4つセットになっている小さなヨーグルトを食べました。そしたらフルーツの量が少し多くて、うれしくなりました。
この前は、カーテンを洗うためにカーテンを外したら、それだけで部屋がとても明るくなって、そのままカーテンをつけずにいることにしました。
そして今、カーテンがついていない窓は外の光をちょうどよく取り入れてくれて、電気をつけなくても部屋が明るいです。人工的な光とは違う柔らかな光が部屋を満たしてくれているのが、なんだかとても幸せな気持ちにしてくれます。
これも、日が当たりすぎないこと、マンションであること、窓ガラスが透明ではないことが重なったことで実現していると思うと、いい偶然だなあとしみじみ思います。
長くなりましたが、要は私は日常の何でもないことに幸せを見つけるのが好きだということです。
毎日何かしら小さな発見で幸せを感じているように思います。
オチはありません。
ただ、どこかにいる同じ感性の人にこの文章が届かないかなあなんて思ったりしています。それだけです。
今日は良い日でした
特に何かあったわけじゃありません。
今日も普通に仕事をして何事もなく帰ってきました。
やはり捉え方だと思うんですよね。
今日の私の住んでる地域は風は強かったけどとても清々しい晴れでした。
昨日の雨が空気中の花粉や塵を取り去ってくれたんでしょうか。朝は空気が澄んでいました。
私としてはそれだけで今日はいい日だと言えると思います。
さらに今日のお客様は明るくてとても良い方でした。
印象的だったのは伺ってすぐに窓を指さして「今日は富士山がよく見えるんですよ」と教えてくださったこと。なんだか胸があたたかくなりました。
こういう些細なことに幸せを感じていきたいですよね。
嫌だなと思うこともありました。
でもあまり気にしないようにしています。
些細な事でもありましたし、相手の方も余裕がなかったのかもしれないとか、相手の立場に立って考えたらその時のことも気にならなくなります。
「気にするだけ損だよ」とか「気にし過ぎだよ」とか、色々言われることがあります。
そんなふうに言われてもどうしても気になるのが私の性です。
そんな時には相手の立場を考えると自然と今まで大きかったことが小さく思えてくるもので不思議です。
それから単純に、あまり深く考えないことも重要だと気付きました。
考え過ぎは毒です。
たくさん考えることは必要ですが、過ぎるのは必要ありません。
何事もほどほどが一番ですね。
良い一日というのは、自分で決めていいと思います。
理由なんていくらでもあります。
全てが良くなくても良い。
幸せな事や素敵な事に目を向けてそれで胸をいっぱいにする。
都合が良くて良いんですよ。その方が楽ですからね。
柔らかい言葉
blogを綴ろうと思いつきました。
最近時々見ているYouTuberさんがいるのですが、その方の言葉の柔らかさに感化されて自分もそういう言葉を綴る何かをしたいと思ったのです。
YouTubeでVlogをやることも考えたんですが、まずはblogでゆるくやっていきたい。
誰が見るかわからないし、誰も見ないかもしれない。
でも誰かに届いたらいいな、なんて思いながら綴っていきたいです。
柔らかい言葉というのは見た人をほっこりさせます。
あたたかくてじんわり嬉しくなるようなそんな文章を、言葉を私も紡げるようになりたいな。
その練習をこの場を借りてしていきたいのです。
柔らかい言葉を紡ぐには、まず、自分が柔らかくならなければならないのかなと思うんですね。
今の私はトゲトゲです。
些細なことにイラッとしたり…不快感を覚えたりするのです。
「こんなことくらいで…」と思えたらいいのですが、嫉妬や嫌悪感のような感情は捨てきれない。
そもそも捨てるべきものなのかもよくわかりません。
受け入れる事が出来たなら、とても楽なのかもと思います。
みなさんはトゲトゲですか?
柔らかくなりたいですね。
穏やかに過ごしたい。
それが今の私の目標です。